母は本当に中程度認知症なのだろうか?
実母をちょうど一年ほど前に「軽度認知症」と診断したのは、もう50年近く付き合いのあるかかりつけ医(今は息子さんのB医師に代替わりしているが)。一応、「心療内科」「物忘れ外来」の看板は出ています。
父親(夫)と同じ顔の人が何人も見える?
今年の4月頃に「中程度認知症」と診断が変わった。ある日突然、母から電話がかかってきました。
「お父さんと同じ顔の男の人が家にいる」
「でも、その男は自分は夫だと言う」
「私はお父さんだと思えない。怖いからすぐ来て欲しい」
こんな感じで、私と妹は片道二時間かけて飛んで行きました。
幻視と言うらしい…
認知症の症状の一つに「幻視」と言うのがあり、かなり重い症状であるのは本で読んで知っていました。実際に母に会って話を聞くと、一日の中で数回は本当の父がいると言います。でも、殆どが父に似ている男がいると。でも、その男を追い出すわけでもなく、買い物を頼んだり、食事を作ったり、部屋は別ですが一つ屋根の下で寝ています。これが1か月近く続いたある日…
父が入院した途端に症状が無くなった?
6月中旬のある晩、父が夜中に屋外で転倒し、大腿転子部骨折になり1ヶ月の入院をすることになりました。すると、当然「あの男」はいない訳で、母の幻視症状は全く無くなったのです。その上、何となく「うつ」のように気分の下がっていた精神状態も上向きになってきました。
認知症治療薬が変更に…
その頃、アルツハイマー治療薬が『アリセプト』から『メマリー』に変わりました。かかりつけ医は「薬の効果が出てきた」と言い、私たち家族も安堵しました。
しかし、私には疑問がありました。母は以前から物忘れの類はありませんし、料理の味も変わらず、ただ気分が落ち込んで「やる気が出ない」「死にたい」と言うだけ。これでも中程度認知症と言うのかと。
父の退院に合わせて、また変化が…
約3週間の入院が終わろうとした頃から、母の症状が戻り始めました。その頃の母は「私が全部お父さんの面倒は看られない」「私だって死にたい」と言い出しました。
私の見立て…
こうなることは私には予想できていました。私の見立ては「軽い老人性うつ病」でしたから、かならず戻ると。
二年前に体調を崩し長年勤めていた仕事を突然辞め、その後すぐに顔面神経痛、肘骨折、緑内障手術、親しい知人の相次ぐ死、大嫌いな大地震と、母には辛い試練が連続していたからです。しかし、かかりつけ医はほぼ否定しました。
私の秘策…
そこで、私は認知症治療でない方法を取りました。それは「介護保険認定」を受けることです。
父の骨折は数ヶ月のリハビリが必要なのはわかっていましたから、上手く父の退院までに介護保険の認定が受けられれば、母も安心できるだろうと考えたのです。そして、運良く退院後一週間で介護認定が受けられ、リハビリが始まったのです。
介護が始まったらピタリと無くなった!
ヘルパーさんたちによる父の介護が始まると、母の「幻視」は一切無くなりました。また、気分も上向きになり、声も明るくなり、「死にたい」など言わなくなりました。むしろ、父の入院前より良い状態です。これは何を意味するのか考えました。
精神科医の「物忘れ外来」を受診することに…
私は母の病名をきちんと見極めるために、知合いの紹介である精神科医の「物忘れ外来」を受診することになりました。問診、脳のMRI撮影、血液検査等を受けた結果にビックリしました。
まず、医師が注目したのは…
A医師によると、確かにMRIでは脳の一部に萎縮が診られるが、これをアルツハイマー型認知症とするのは、医師によって差が出るほどの差異だそう。
そして、A医師が注目したのが、幻視が無くなった後の状況がむしろ良くなっている点でした。
次に、医師が注目したのが…
料理の味が変わらない点。一般的な認知症では、まず料理を作れなくなることが多いらしい。料理って、材料を選択し、順番通りに材料を切って調味、最後はお皿に並べると言う実に複雑な工程が必要だから。それが母は料理の味も変わらないし、分量もきちんと量れる。そんなことも認知症と診断するには総計だと言うことらしい。
老年性精神病…
普通の認知症では幻視が無くなった場合は、ほぼ間違いなく認知症が進むのにそれが無いことと、脳の萎縮の程度を考慮すると、病名は老年性精神病、簡単に言うと、急に受け入れにくい環境が押し寄せてきて、それを受け入れられない、受け入れたくないと言う気持ちが、一番身近な夫を認めないと言う方向に向いたのではないか?と言うことです。これには私や家族も目から鱗でした。
血圧降圧剤の副作用…
更に、本来高血圧で積極的な性格が、血圧降圧剤の服用で抑え込まれたような感覚になる患者がいて、それが嫌で降圧剤を飲むのを止めちゃう患者もいるそう。
「自分はどんどんやりたい、やれるはず」なのに、副作用で「やりなくない、やれない」と諦めさせられちゃう訳ですね、その部分は、精神科の薬でコントロール可能と言われました。
今後は、かかりつけ医のB医師に、「メンタル面は知合いの精神科医に診せます」と告げて、認知症治療の部分もB医師からA医師に切り替えるつもりです。それにしても、認知症って難しいですね。
私の体験を…
介護認定を受けるまでの過程は、地元市町村のサイトを見たり、『介護認定を受けるまで - 介護施設・介護情報なら介護の安心ガイド』(リンク)を読むと詳しく解ると思います。私もこれらを参考にして申請しました。今回はこれらには書かれていない体験談を書いてみます。
地域包括支援センターを利用…
私は千葉県在住で両親は東京都在住の所謂「遠距離介護」中です。そこでまず、申請ですが、両親の家の近くの区内の地域包括支援センターにすべて代行してもらいました。電話で事情を話せば、担当者が申請書類など揃えて申請してくれます。
訪問調査…
申請代行をお願いして1週間ほどで、区の委託を受けた介護支援専門員(ケアマネジャー)から訪問調査の依頼がありました。本人(両親)だけでも良いとのことでしたが、両親の認知症もあり、他人の前では格好をつける傾向があったので、私が立ち会うことにしました。
実際の訪問調査は一人30分程度で、簡単な質問や身体の動きについての調査でした。予想通り、人前では両親はがんばっちゃうんですね。ですから、「いつもはこんな感じではありません」と話しました。
のちに現在のケアマネさんに聞くと、この訪問調査は判定に大きな影響は無く、後述する「主治医の意見書」が最大の効果があるそうです。
主治医の意見書…
両親には“かかりつけ医”がいるので、事前に「今度、介護認定を申請しますのでお願いします」と言っておきましたところ、申請の数日後に「要介護・要支援認定申請書(いわゆる主治医の意見書)」を区役所に提出しましたと医師から連絡がありました。
噂によると、この意見書に「アルツハイマー」「認知症」と言う言葉が入っていれば「要介護1か2」は確実だそう。お願いして書く内容が変わるはずはありませんが、先生の前で見せている姿がすべてでは無いので、その面は事前に話しておくのは悪くないと思います。
介護認定結果…
申請から約1か月して、介護認定結果が届きました。父が「要介護2」、母が「要支援1」でした。でも、ここからが一番大変。偶然、私が病院の付き添いをした日でしたので、早速私も良く知る母の友人で介護に詳しい方に電話し、知合いのケアマネさんを紹介してもらいました。
実は、介護認定結果の中に介護施設の問い合わせ一覧が入っています。区の介護保険担当に「どうやってケアマネージャーを探すのですか?」と聞くと、「近くの施設に適当に電話している方が多いですよ」とあっさり。「得意分野とかあるんじゃないですか?」と聞けば、「アタリハズレはありますが、決めて頂かないと先に進みませんから」とこれまたバッサリ。
と言う訳で、(万が一の場合、断りにくいのは承知の上で、急ぎで背に腹は変えられぬと言うことで)知り合い経由でケアマネさんを依頼。早速その日の内に、担当ケアマネさんの上司と、近所の介護ヘルパー派遣会社の社長さんと面会。話はトントン拍子に進み、3日後から介護サービスが始まることになりました。
申請から1か月で認定まで行ったのは早いケースだと思います。私は2か月程度掛かると思ったので、その間にケアマネさんを探したりしようと思っていたので、バタバタしてしまいました。
ケアマネさんだけでなく、ヘルパーさんにもいろんなタイプの人がいるので、時間に余裕があれば介護を受ける人の近所の介護情報を取り込んだ方が良いです。でも、遠距離介護だとそれも容易で無いので、ある程度“運便り”になっちゃいます。やはり、親の交友関係だけはちゃんと把握しておくべきです。それだけでも全然違いますよ。
区の福祉課の一言で。
3週間近く更新できませんでしたので、その後の経過報告をします。結局、老人のこととなのでで区の福祉課に相談をし状況を説明したところ、指導と言うのかわかりませんが、申し入れをしてくれて、書いてくれました。これは私の嫌いな“ゴネ得”とは違うと思いますが、でも何かスッキリしませんね。
順調にリハビリ中…
紹介状のお陰で、先月末から近所の総合病院のリハビリ科に週三回通院しています。だいぶ可動域は広くなったと思います。良かった良かった。
要介護認定…
ブログ更新を怠らざるを得なかったのは、先月末に両親が介護保険認定を受けられるようになったからです。介護については一ヶ月ほど、図書館で関連書籍を借りまくり20冊以上は読んだでしょう。おかげで、ケアマネージャーを決めたり、介護プランを作ったりと、慣れないながらも進めてきました。次回からは遠距離介護のことを書きます。
私は両親の家まで片道1時間半から2時間かかります。唯一の兄妹である妹も1時間はかかります。そこで、基本的には直接の介護はケアマネさんとヘルパーさんにお任せし、私が介護のキーマンとなって遠距離介護を始めました。いやぁ、大変ですよ。でも、介護保険を受けられるだけでも幸せだと思います。次回は介護認定を受けるまでの過程を書いてみます。
病棟ナースの行動に疑問…
先月、父が深夜一人で外出中に転倒し救急車で搬送。大腿転子部骨折で都内某区の某救急病院の整形外科に入院しました。入院数日後の手術も無事に成功し、リハビリが始まった頃から病棟ナースの行動に疑問を持つようになりました。
思いつきで電話してるのか!
当初から入院は約1ヶ月でしたから、術後3週間のリハビリのプログラムは推して知るべしです。こちらは事前に「家が遠いし毎日見舞いに来られないので、杖や靴が必要であれば早めに言って下さい」と伝えておきました。
ある日の午前中に「明後日までに杖が必要です」と電話。「夕方に行きます」と返答し急いで病院へ。すと売店は節電で早めに閉店するかも?と思い、病院に電話すると「夕方5時までに来てください」と。慌てて電車に飛び乗り売店で購入。するとその翌日「明後日までに靴が必要です」と言った具合で、殆ど「思いつきで電話してるのか!」と言う状況でした。
退院の一週間前に…
当初一ヶ月でここは退院して、リハビリの状況如何でその後は他病院で2ヶ月のリハビリと言う治療計画でした。いくら手術が上手くいっても80歳近い高齢者が手術をして普通の生活がすぐにできるような状況でないのは、素人の私でも一目瞭然。
そこで退院の一週間前に、病棟ナースに「退院後のリハビリは?」と聞くと、「自宅近くの病院を自分で探して下さい。紹介状は書きます」と言う。急いで病院を探し、紹介状を依頼。そして、退院の日がやってきました…
紹介状がない!
紹介状がないんです。ナースの言い分は「日常生活が出来ると判断した上での退院です。ですからリハビリは必要ないので紹介状は書きません」と。しかし、私は「受け入れ先の病院で、手術内容がわからないとリハビリ計画が立てられないと言われた」と反論しましたが、「書きません」の一点張り。退院後一週間硬直状態…
紹介状を書かない理由が見当たりません…
退院後6日目で、杖を使えばヨタヨタ歩きは出来ますが、もちろんお風呂にも入れないし、しゃがめても立つのが厳しいから一人で外出させるのも怖い。
そんな時、介護保険認定の調査員の方がみえたので、この話をしました。すると「お父さんはリハビリした方が良いです。リハビリをさせたいと言うご家族の気持ちは間違っていません。紹介状を書かない理由が見当たりません。区の福祉課にでも相談してみては?」と助言をくださいました。
怒った声で師長から電話がかかってきた!
福祉課の担当者さんが病院に電話して下さったようで、怒った声で師長から電話がかかってきました。「今どういう状況ですか?」と。私は、「杖でヨタヨタ歩き、風呂に入れない、一人外出は転倒が怖くてさせられない。だから、もう少しリハビリをして自分で出来る訓練方法などを知りたいんです」と言いました。すると「他に理由は?」と言うので、「これ以上の理由が要りますか?」と答えたら、「先生に伝えます」と言ってガチャンと切りました。
ただ、手術の状況を他の整形外科に伝えるだけなのに、それほど嫌なものなのでしょうか???今、福祉保険局に問い合わせ中です。近日中に動きがあると思うので、追って状況は書きます。